日本病理学会が、AIに関する声明 を発表しています。
声明について
この声明はいわゆる人工知能("AI")が病理学、特に病理診断における作業をどのように変えるかについて、その影響について、の見解を述べています。そこでは AI の重要性と可能性が強調されつつも、現時点で AI が人間の病理医を完全に置き換えることは難しいという立場を明確にしています。
研究との関係についても触れており、それはその通りでしょう。
意見に私自身は基本的には同意します。AI が進化し、我々の生活を劇的に変えている、変えていきそうな状況がますます加速する一方で、その能力は、特にプロフェッショナルが活躍する領域では、現状、まだ制限されています。特に医療の世界では、経験と知識、集積、そして人間と人間とのコミュニケーションの重要性などはまだまだ AI には到達できていない領域ですし、基本的な動作にもまだまだ課題がありますね。
しかし、ここで一つ注意しなければならないと考えていることがあります。それは、AI の進化による社会の変化は予測できず、意固地になって地位を守るよりも柔軟に変わっていくことが求められるということです。この声明で触れられている法制のことも、社会の変化によってガラッと変わることは当然あるでしょう。現在の解釈や宣言を根拠として、人は安泰、というのは言い過ぎに思えます。
AI によって変わる仕事の形
病理医も例外ではありません。技術の進歩とともに、役割や業務が変わる可能性は十分にある、というか変わるでしょう。画像認識という小さな話をしているわけではありません。医用画像診断の AI による実行、というのはごく一部のテーマに過ぎません。もっと大きく働き方そのものや存在方法が変わる可能性もあると思っています。
それは必ずしも悪いことではないと捉えたほうがよいようには思います。AI の導入は、例えば画像解析の精度を向上させることで診断の品質を高め、病理医がより複雑で重要なケースに時間を割くことができるようにする可能性がありますし、事務にかける時間がへり、研究をよりすすめられるようになるかもしれません。なにより、患者のうけるアウトカムファーストの考えからは、医療事故を減らすことや、医療の標準化、繰り返し作業に入りがちなヒューマンエラーの排除などにも役に立つ可能性はいくらでもあるでしょう。
それはまさに、「意固地になって地位を守るよりも柔軟に変わっていくこと」が「医療の享受者である社会から」求められる場面と言えるかもしれません。AI と共に、病理医自身もそのあり方や考え方を変化させ、医療の新しい可能性を開拓する。それが目指すべき道ではないでしょうか。
宣言を出すことはよいことと思いました
黙殺・無視するのではなく、宣言をだすことはよいと思いました。もちろん病理医の総意ではないでしょうし、いろいろな考え方の人がいるでしょう。しかし確実に AI によって社会は変わると思います。一度出した宣言にこだわり続けず、柔軟に変化する、少なくとも AI よりは柔軟にあるべき、それが人だと思います。
この声明のページのイラストもまた、そのメッセージを美しく象徴しているように思いました。学生さんが描かれているのもよきですね。現状、copilot (副操縦士・補佐役)というかペットというかとして人間が AI をコントロールしていくという状況が描かれているかと解釈しました。まぁ将来的には共に働く未来を描き、新たな調和を示している絵も求められるかもしれないですね。。このようなビジュアルが、AIの導入とそれに伴う変化を恐れずに、逆にポジティブに捉え、挑戦する気持ちを引き立てます。
最後に、私たちはこの声明から、病理医の未来は暗くなく、新たな発展を遂げる可能性があることを理解することができます。そしてそれは、AIと人間が共に、そしてお互いを補完し合う形で実現することでしょう。
未来は見えない・予測できないが、柔軟に追いつきたい
我々は未知の領域に足を踏み入れようと、いや踏み入れているのでしょう。シンギュラリティ云々という議論に興味はありませんが、予測不可能なほど、猛烈に世界は変わる気がします。しかし、その未知は、恐れるべき未来ではなく、新たな可能性に満ちた未来であるようにも思います。技術の進歩を受け入れ、柔軟に変化し、新たな時代に対応することで、更なる発展を遂げていきたいですね。
そのためには、私たち一人一人が持つ視野を広げ、学び続け、柔軟に考えることが必要です。そして、そうした取り組みを通じて、未来を明るく照らし出すことができるでしょう。今後もAIの進化とそれに伴う変化を楽しみに見守りつつ、自らもその一部となり、積極的に挑戦していきましょう。